最終更新日:平成27年(2015)3月24日
所在地:差木地
差木地バス停から徒歩2分、林浦寺の右側参道入り口の右手に、漁業権獲得の先覚者、小坂藤内の墓がある。 寛政12(1800)年に、波浮港村がつくられたが、親村の差木地は山方村(1)のため漁業権が無く、天保の大飢饉で死者20名を出すに至った。百姓惣代小坂藤内、塩入松兵衛、杣頭井沢清兵衛らは窮状を打開するため、村の代表として天保9(1838)年に新島村を相手どり、代官羽倉外記役所に漁業権獲得の訴状をおこした。代官の来島に願書を提出しようとしたが果せず、上京し訴状を提出したが効果なく、埒があかないと考えた藤内は、老中水野忠邦に直訴した。漸く天保12(1841)年に回船1艘、漁船3艘が食料の確保という条件付で認められたが、名実ともに漁業権を確立したのは明治7(1874)年であった。藤内は明治4(1871)年4月16日に没している。
教育庁大島出張所
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