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鉄砲場の岩陰遺跡【てっぽうばのいわかげいせき】

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最終更新日:平成27年(2015)3月24日

鉄砲場の岩陰遺跡 鉄砲場の岩陰遺跡

所在地:泉津松山

泉津漁港の側に、江戸時代に外国船を打ち払うために設けられた鉄砲場というところがある。波浮にも鉄砲場という地名が残っており、泉津地区では、前浜から岩陰遺跡あたり一帯を総称して鉄砲場と呼んでいる。記録では、石積みをして鉄砲3丁が隠されていたという言い伝えに由来する。この岬の岩がそそり立つ中程、標高5mの位置に長年の波や風雨により侵食されできた奥行き7.5m程の岩陰があった。現在は天井部分が落石している。この岩陰が縄文時代前期、中期、弥生時代中期、古墳時代後期に人々が住んでいた複合遺跡の鉄砲場岩陰遺跡である。地元では陰や洞穴をヤアという名称で呼んだことから、鉄砲場ヤア遺跡とも呼ばれている。昭和32(1957)年の東京都教育委員会による「伊豆諸島文化財総合調査」により、地元住民の収集した遺物と遺跡の調査が行われ、縄文時代前期末期の十三菩提式土器、東関東の浮島式、神津島産の黒曜石製の石鏃せきぞく(1)や石錘せきすい(2)、骨角器のほかに貝類、魚骨、鳥骨、獣骨等が抱合層から出土した。哺乳類ではイノシシが主体となり、貝類ではサザエ類、カサガイ類が目立った。魚類では岩礁の根魚であるブダイなどが主体になり、爬虫類ではアオウミガメ、鳥類ではアホウドリやミズナギドリが出土した。出土した土器から、この岩陰を最も利用したのが南関東前期終末期の諸磯C式、十三菩提式、中期初頭の五領ヶ台式の時期であるとされている。

  • (1) 矢の先に用いる小型の石器。通常便宜的に長さが5cm以下で重さが5gまでのものが石鏃に分類される。
  • (2) 打製石器の1つ。石の先をとがらせたもので、回転させて使う回し錐と、前後に動かして使う突き錐とがある。

お問い合わせ

教育庁大島出張所
電話:04992-2-4451 ファクシミリ:04992-2-3902
メール:S9000007(at)section.metro.tokyo.jp
迷惑メール対策のため、メールアドレスの表記を一部変更しております。
お手数ですが、メール送信の際は(at)を@に置き換えてご利用ください。

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