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東京都文化財保護審議会の答申について

更新日

東京都教育委員会は、令和7年2月17日、東京都文化財保護審議会(会長 朝賀 浩)から、東京都指定文化財として、新指定候補3件の文化財について、答申「東京都指定有形文化財の指定等について」を受けましたので、お知らせします。

1 答申「東京都指定有形文化財の指定等について」の概要

学士(がくし)会館(かいかん)

大沢の山葵(おおさわのわさび)栽培農家(さいばいのうか)

(きゅう)前田(まえだ)庭園(ていえん)(駒場(こまば)公園)(こうえん)

※ 詳細は別紙を御参照ください。

2 審議経過

(1)東京都文化財保護審議会総会(諮問)
    令和6年12月25日
(2)東京都文化財保護審議会各部会
    令和7年1月24日、28日、30日
(3)東京都文化財保護審議会総会(答申)
    令和7年2月17日

3 今後の予定

今後開催予定の東京都教育委員会に、東京都指定文化財として新たに指定することを付議する。


別紙

学士会館がくしかいかん

1棟

【種別】
東京都指定有形文化財(建造物)
【所在地】
千代田区神田錦町三丁目28番地1
【所有者】
一般社団法人学士会
【構造形式及び大きさ】
鉄骨鉄筋コンクリート造5階建(塔屋3所を含む)
スクラッチタイル及び人造石張り
建築面積998.48平方メートル
 外観(南西から)
 1階広間
  立面図(西面)
 立面図(南面)

本件は、学士会が会員の親睦と交流を図ることを目的として昭和3年(1928)に再建した会館で、食堂や娯楽室、事務室などの社交倶楽部としての機能と学術交流の場として大小の集会室が備えられた倶楽部建築である。大正・昭和期に活躍した建築家・高橋貞太郎たかはしていたろうが、師である佐野利器さのとしかたの指導を受けて設計を手がけた。
非対称のL字形平面に大小の部屋を階毎に巧みに配置し、これに対応して異なる階高を立面に収めて一つの建物に見事にまとめ上げられている。内装は、当時の最上級で最新の材料を採用して威厳や品格の感じられる意匠設計がなされ、構造は、耐震耐火を重視した鉄骨鉄筋コンクリート造の早い例であり、戦前の倶楽部建築の好例として意匠的、技術的に優秀である。
また、都心に残る数少ない復興建築の一つであり、関東大震災からの復興の歴史や近代建築様式の習熟と発展を示すものとして学術的価値が高い。

大沢の山葵栽培農家おおさわのわさびさいばいのうか 

 建造物    1棟

 関係民具    8点

 附 箕輪家文書つけたり みのわけもんじょ    232点

【種別】
東京都指定有形民俗文化財
【所在地】
三鷹市大沢二丁目17番3号
【所有者】
三鷹市
 外観(南西角)
 
 内観(ザシキより山葵田を望む)

大沢の山葵栽培農家は、明治35年(1902)に建設された四つ間取りの典型的な農家である。山葵栽培を生業として営む農家として数度の改築を経て、昭和49年(1974)まで住宅として使用されていた。
建物の10メートル東にハケ(国分寺崖線)が南北に走り、ハケから出る湧水を利用した山葵田に向き合う東側を正面として建てられている。建物とハケの間には山葵田が現存し、周辺では初夏にホタルが飛び交う。また、野川の対岸には都指定有形民俗文化財の「武蔵野(野川流域)の水車経営農家」がある。豊かな自然に囲まれた風景が広がる中で、ハケから出る湧水を利用した山葵田と住居で構成される屋敷構えが特徴である。
民具は建物と同時に箕輪家から寄贈されたもので、山葵栽培に使われた農具及び、箕輪山葵園の半纏、山葵が描かれた手拭いからなる。古文書232点は箕輪家伝来のもので、近世末から明治期にかけての山葵の栽培や売買に関する書上や書簡からなる。山葵栽培農家としての箕輪家の足跡が分かる資料である。
本件は、武蔵野の山葵栽培農家の住宅として120年余の歴史を持つ。周辺に崖線沿いの緑や湧水、山葵田が残り、野川流域の農村生活を伝える貴重な文化財である。山葵農家が用いた民具や山葵の栽培・出荷を記録した古文書とともに、都民の基礎的な生活文化の特色を示す有形民俗文化財として貴重である。

旧前田庭園(駒場公園)きゅうまえだていえん こまばこうえん) 

【種別】
東京都指定名勝
【所在地】
目黒区駒場四丁目3番55号 目黒区立駒場公園内
【所有者】
国(財務省)   土地・建造物・工作物
東京都      建造物
目黒区      土地・建造物・工作物
【指定区域・指定面積】37,316.42平方メートル
内訳 目黒区駒場四丁目861番1、147、148の一部、150、194
上記地域内の外周塀を含む 

旧加賀藩主であった前田家の、第16代当主である前田利為まえだとしなり侯爵が、文京区本郷の本邸を東京帝国大学の震災復興の整備のため、農学部用地のあった駒場と土地交換し、造営したものが本庭園である。上屋敷に起源を持つ本郷本邸の機能を継承しつつ、より近代的な本邸として建設した邸宅と庭園である。
本邸を構成する主な建物は洋館と和館であり、それぞれ洋風庭園及び和風庭園が一体的に構成される。和洋の文化を取り入れた華族の文化が円熟し、最終期を迎えた昭和初期における貴顕きけんの生活及び邸宅の全体像を知ることができる遺構として貴重である。
昭和6年(1931)の庭園完成後、前田家居住期、占領国軍接収期、駒場公園期と所有者の変遷はあったが、造営当時の地割が良好に残されている。
洋風庭園の設計者、原凞はらひろしは造園学に大きな影響を与えた人物であり、その作例は希少である。和風庭園の設計者、西川一草亭にしかわいっそうていは当時の上流階級の庭園を手掛け、前田家とも墓所や別邸の庭園を設計するなどゆかりが深かった。ただし、現在良好な状態で残っていると確認できる作品は少ない。両者の作庭例が良好に残る例としても希少であり、芸術的、学術的価値も高い。

 芝庭から洋館を望む
 和風庭園の滝と流れ
記事ID:031-001-20250214-012885