東京都文化財保護審議会の答申について
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東京都教育委員会は、令和8年2月25日、東京都文化財保護審議会(会長 朝賀 浩)から、東京都指定文化財として、新指定候補1件を含む合計3件の文化財について、答申「東京都指定有形文化財の指定等について」を受けましたので、お知らせします。
1 答申「東京都指定有形文化財の指定等について」の概要
(1)新たに指定すべきもの 1件
東京都指定有形民俗文化財 東村山の押絵羽子板製作関連資料
(2)既に指定しているものに追加し、名称変更すべきもの 2件
ア 東京都指定有形文化財(彫刻) 小河内神社所蔵の木彫像
イ 東京都指定有形文化財(典籍) 最勝王経巻釈
明徳5年浅草寺円月坊にて書写の奥書がある
※ 詳細は別紙を御参照ください。
2 審議経過
(1)東京都文化財保護審議会総会(諮問)
令和7年12月23日
(2)東京都文化財保護審議会各部会
令和8年1月21日、26日、28日
(3)東京都文化財保護審議会総会(答申)
令和8年2月25日
3 今後の予定
今後開催予定の東京都教育委員会に、東京都指定文化財として新たに指定すること等を付議します。
別紙
東村山の 押絵 羽子板 製作 関連 資料
19,912点
【種別】
東京都指定有形民俗文化財
【所在地】
東村山市諏訪町一丁目6番地3 東村山ふるさと歴史館
【所有者】
東村山市教育委員会
押絵羽子板製作関連資料
完成品(道成寺)
押絵とは台紙に布をかぶせて綿をくるみ立体的にしたもので、それを羽子板に取り付けたものが押絵羽子板である。文化文政期(1804~30)には既に存在していた。その製作は、下絵を描く「面相師」、下絵から形を起こし押絵を作る「押絵師」、着物の模様や紋を描く「上絵師」、小道具や背景を描く「小道具絵師」、型紙から羽子板を作る「木地師」、板の裏に絵を描く「裏絵師」が分業で行ない、問屋が組み立てて人形店で販売する。
本資料群は、東村山市に所在した「はなびや人形店」で大正期末より平成17年に閉業するまで作られた、押絵羽子板の下絵から完成品に至る製作関連資料である。店主の川島氏が販売店でありながら「面相師」「押絵師」の技術を合わせ持っていたことから、一連の製作工程を追える膨大な資料群が蓄積された、質量ともに充実したコレクションである。
特筆すべきは、多摩地域で作られた押絵羽子板の面相の変遷を追うことが出来る点である。浅草等の江戸風情を感じさせる浮世絵のような美人の面相に対して、多摩周辺の職人達が試行錯誤し、女児の初正月に贈る子ども向けの素朴な面相だったものを、少女漫画のように大きくて丸い目のあどけない美少女の面相に発展させた。
本資料は、羽子板を女児の初正月に贈るという主に東日本を古くからあった風習が、昭和期に多摩地域を中心に大流行したという、都民の生活文化の特色を示すものとして重要である。押絵羽子板の下絵から完成品まで全工程の資料が網羅されている本資料群は、地域的な広がり、技術的な伝播の態様、時代の流れに即した面相の変遷など、地域の年中行事や風俗慣習との関連性を色濃く窺わせる、貴重な有形民俗文化財である。
小河内 神社 所蔵 の 木彫像
31軀
【種別】
東京都指定有形文化財(彫刻)
【所在地】
西多摩郡奥多摩町河内149番地
【所有者】
宗教法人小河内神社
【指定内容・員数】
既指定
木造蔵王権現立像 1軀 (昭和31年3月3日都重宝指定)
騎馬神像
蔵王権現立像
本件は、令和4年度から6年度にかけて東京都教育委員会が実施した調査によって、小河内神社の社殿内に確認された木彫像を一括して追加指定し名称変更するものである。小河内神社は、小河内ダム建設工事のために水没した地域にあった神社9社11祭神、温泉神社、金御岳、箭𥫤、貴船、愛宕、熊野(青木)、御霊、加茂、御岳(留浦)を勧請して創建された神社で、社殿には各社から集められた木彫像、懸仏、祭祀用具、社殿の棟札等が納められている。31軀の内、既指定の木造蔵王権現立像を含む24軀が金御岳神社に、3軀が貴船神社に伝わった像で、残りの4軀が元の所在不明の像である。また制作年代で分けると、平安時代の作が12軀、平安~鎌倉時代の作が15軀、南北朝~室町時代の作が3軀、室町時代の作が1軀となっている。
中世以前に遡る制作であることが大きな特徴で、この時期に小河内に豊かな信仰文化が営まれていたことを示す。また、10世紀から12世紀頃の作になる蔵王権現立像が5軀伝わることは、奥多摩地域に蔵王権現信仰が深く根を下ろしたことを示唆するとともに、定型化する以前の蔵王権現の姿を残す例としても注目される。さらに、騎馬神像や武人形立像など全国でも類例の少ない珍しい像が伝わるほか、男神像が10軀伝わるなど、多様な信仰の在り方を知ることができる。
水没以前の小河内における、平安時代以来の信仰の様相を伝える貴重な木彫像群であり、地域的特色をよく示すとともに、文化史上重要な資料である。一括して指定することで、歴史的な変遷を追うことのできる資料となり、それによって西多摩地域の歴史的な位置づけを再評価できる資料となりえる。また、散逸を防ぐことにも繋がる。
最勝王経巻釈
明徳五年浅草寺円月坊にて書写の奥書がある
3巻
【種別】
東京都指定有形文化財(典籍)
【所在地】
台東区浅草二丁目3番1号
【所有者】
宗教法人浅草寺
【指定内容・員数】
既指定 昭和39年4月28日 都重宝
昭和51年7月1日 条例改正に伴う種別名変更
最勝王経巻釈残巻
明徳五年浅草寺円月坊にて書写の奥書がある 1巻
追加指定及び名称変更
最勝王経巻釈
明徳五年浅草寺円月坊にて書写の奥書がある 3巻
最勝王経巻釈 第1巻の巻頭
本作の第1巻と第2巻は、平成25年(2013)に行われた浅草寺の文化財悉皆調査において存在が確認されていたものである。この度改めて既指定の「最勝王経巻釈残巻」との関連について検討したところ、3巻は一具のものであることが判明し、追加指定及び名称変更の運びとなった。第1巻が巻頭、第2巻がそれに続く部分、既指定の「最勝王経巻釈残巻」(現状では第3巻)が巻末にあたり、巻頭から巻末まで揃った完本であったものが、ある時期に分かれて、そのまま伝わったと考えられる。
金光明最勝王経は、唐の義浄により漢訳された経典で、奈良時代初期に請来され、国家鎮護の経典として重要視された。最勝講は、国家安穏を願って、金光明最勝王経全10巻を講讃する法会で、僧侶が経典を読み上げ、その意味を解説するものである。本作の奥書から、明徳5年(1394)2月に本作が武蔵国浅草寺円月坊において書写されたこと、この時期に浅草寺で最勝講が催行されたことが分かる。関東の有力寺院として国家権力との密接な結びつきを築いてきた浅草寺が、特段の要請もなく最勝講を行っていたとは考えにくく、最勝講の催行と当時の政治状況や国際情勢が密接なつながりを持っていた可能性がある。
また、最勝王経の注釈を記したものとしては、本作と同じ文言の文献は現時点では他に確認されておらず、類例のない釈文を完本として読むことができるのは大変貴重と言える。さらに、本作奥書に登場する「円月坊」、「月蔵坊祐円」、「覚秀」、「月上院」は、いずれも浅草寺の他の記録には見られず、実態や人物の詳細は不明であるものの、中世以降、重要な役割を担いながら記録に乏しい浅草寺支院の具体的な様子を見ることができるという点でも本作は重要な資料であるといえる。