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東京都文化財保護審議会の答申について

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公開日:令和3年(2021)2月18日

教育庁

東京都教育委員会は、2月17日、東京都文化財保護審議会(会長 後藤治)から、東京都指定文化財として、新指定候補4件を含む5件の文化財について、答申「東京都指定有形文化財の指定等について」を受けましたので、お知らせします。

1 答申「東京都指定有形文化財の指定等について」の概要

(1)新たに指定するもの 4件

日本(にほん)民芸館(みんげいかん)

(もく)(ぞう)十一面(じゅういちめん)観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)立像(りゅうぞう)

(さる)(ひき)(こま)()()

(いの)(がた)()(がわ)(づか)()(ふん)

(2)指定を解除するもの 1件

堂山(どうやま)シイ(しい)

※ 詳細は別紙を御参照ください。

2 審議経過

(1)東京都文化財保護審議会総会(諮問)
令和2年12月22日
(2)東京都文化財保護審議会各部会
令和3年1月6日、13日、20日
(3)東京都文化財保護審議会総会(答申)
令和3年2月17日

3 今後の予定

今後開催予定の東京都教育委員会に、東京都指定文化財として新たに指定すること等を付議する。


別紙

 

日本(にほん)民芸館(みんげいかん)

本館(附属塀を含む)、西館旧柳宗悦邸主屋、西館長屋門(附属塀を含む) 3棟

【種別】
東京都指定有形文化財(建造物)
【所在地】
目黒区駒場四丁目3番33号(本館)及び四丁目5番3号(西館)
【所有者】
公益財団法人 日本民芸館
【構造形式及び大きさ】 
本館:木造2階建、入母屋造、桟瓦葺、建築面積286平方メートル
西館旧柳宗悦邸主屋:木造2階建、入母屋造、桟瓦葺、建築面積137平方メートル
西館長屋門:木造平屋建、入母屋造、石瓦葺、建築面積78平方メートル

本件は、大正末期に民芸運動を提唱した思想家・宗教哲学者の柳宗悦(1889-1961)が支援者の援助を受けて建設した「民藝」の展示施設(本館)と、本館建設の前年に建てた自邸(西館)である。「民藝」とは「民衆的工藝」の意味で、それまで美の対象とされていなかった民衆の日用品に美的価値を認め、世に広く紹介する活動が民芸運動である。 

柳は、日本各地や朝鮮、台湾における「民藝」の調査を精力的に行い、蒐集品を一般に紹介するため日本民芸館を開設し、公開した。

建物は、南北の道路を挟んで東側に本館、西側に西館長屋門とこれに接続する主屋で構成される。大谷石の石屋根が特徴の西館長屋門は現在の宇都宮市から移築され、昭和10年に竣工した柳邸の一部である。主屋は近代の生活様式に合わせ機能性と居住性を重視した近代和風住宅であり、各部屋は柳の考えが反映されたデザインで細部まで作り込まれている。本館は、昭和11年に西館長屋門とデザインを合わせる形で建築された。瓦屋根に外壁を大谷石貼り漆喰仕上げとする重厚な造りで、存在感のある建物である。

本件は、民芸運動の活動拠点として建てられた我が国の文化史上価値のある建物で、柳自身が基本設計を行い氏の思想が体現された都内に唯一残る建物として貴重である。

写真:本館本館
写真:本館立面図(正面)本館立面図(正面)
写真:西館旧柳宗悦邸主屋西館旧柳宗悦邸主屋
写真:西館長屋門西館長屋門
写真:西館立面図(南面)西館立面図(南面)

 

(もく)(ぞう)十一面(じゅういちめん)観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)立像(りゅうぞう)

  • 像内に「徳治二年」「作者常陸法□定快」等の銘がある
  • 1軀

附 (もく)(ぞう)()(どう)(みょう)(おう)(りゅう)(ぞう) 1軀
 (もく)(ぞう)()(しゃ)(もん)(てん)(りゅう)(ぞう) 1軀

【種別】
東京都指定有形文化財(彫刻)
【所在地】
西多摩郡奥多摩町白丸334番地
【所有者】
石水山十一面観世音大菩薩護持会
【構造形式及び大きさ】
木造、割矧ぎ造り、漆箔・素地、玉眼嵌入、像高 82.4センチメートル
写真:木造十一面観音菩薩立像木造十一面観音菩薩立像
写真:附 木造不動明王立像附 木造不動明王立像
写真:附 木造毘沙門天立像附 木造毘沙門天立像

本件は、頭部に十一面を有する十一面観音菩薩立像で、(せき)(すい)(さん)(そま)(いり)(かん)(のん)(どう)の木造厨子内に安置される。現状、像の左に不動明王立像(像高48.6センチメートル)、右に毘沙門天立像(像高48.7センチメートル)が随侍する。

古くから白丸で活動した修験者の守護仏として祀られ、霊験ある観音として近隣の村民や街道を行き交う人々から広く信仰された。江戸時代後期の地誌である『武蔵名勝図会』(1823)や『新編武蔵風土記稿』(1830)には、弘法大師の作で秘仏として厨子に納められており、見ることが許されなかったと記されている。

カヤと思われる針葉樹材を用いた割矧ぎ造りで、現状は肉身に(しっ)(ぱく)が施されているが、製作当初は全面素地仕上げであったと考えられる。像内の墨書銘記から、()()()()(ぶつ)という人物が大勧進を行い、徳治2年(1307)に仏師(じょう)(かい)が製作したものと判明する。定快は青梅市塩船観音寺の《木造二十八部衆立像》(重要文化財)で知られる仏師で、本件は彼が61歳の作である。仏師や製作年に関する銘記を有する鎌倉時代の基準作として日本彫刻史上に重要な意義を持ち、中世から近世にかけての多摩地域における信仰と仏師たちの活動の展開を考える上で歴史的・文化的意義が非常に高い。

なお、不動明王立像と毘沙門天立像は十一面観音菩薩立像と作風が近く、ほぼ同時期の作と考えられる。江戸時代には十一面観音菩薩立像とともに秘仏として厨子内に安置されていたと考えられ、その歴史性に鑑み、(つけたり)としてあわせて指定する。

通常非公開。

 

(さる)(ひき)(こま)()()

1点

【種別】
東京都指定有形民俗文化財
【所在地】
あきる野市(ひき)()863番地
【所有者】
宗教法人 真照寺
【大きさ】
縦237ミリメートル、横167ミリメートル、厚さ12ミリメートル
写真:猿曳駒絵馬(表)猿曳駒絵馬(表)
写真:猿曳駒絵馬(裏)猿曳駒絵馬(裏)

本件は、あきる野市引田にある真照寺に伝来する、都内における現存最古の絵馬である。

伝来については、江戸時代後期の地誌である『武蔵名勝図絵』や『新編武蔵風土記稿』にも図入りで収載されており、制作当初は絵馬として寄進され、後に豊蚕を願う村民等に摺り与えるため版木に転用されたという珍しい事例である。

表面を一段掘下げ、明神鳥居を背景に、山王権現の(しん)使()の猿が馬の(さし)(なわ)を曳いてひざまづく図を陽刻する。全体が漆と思われる樹脂膜で覆われ黒くなっており、この塗膜によって猿や馬の毛並み等が不鮮明で、やや平滑になっている。裏面には、この絵馬を天正17年(1589)に制作・寄進した経緯が陰刻されている。

あきる野市引田の真照寺は、史料によると秋川右岸の(にっ)(てら)(やま)に寛平3年(891)()(かん)が開山、享禄4年(1531)に火災で堂宇が焼失し、秋川左岸の現在地へ移転したと言われる。本件絵馬の裏面銘文は、天正17年(1589)に引田村の志村肥前守景元が村内の山王権現を再興するにあたって、17歳の次男・角蔵が制作し奉納された絵馬であることを伝える。

豊臣秀吉による小田原攻めの前年、引田村でも大変な騒ぎになっていた時分に山王権現の社殿を再興し絵馬を寄進したことが分かり、戦国時代末期の社会情勢や文化事情、また江戸時代以降の多摩地域の人々の信仰について物語る貴重な民俗文化財である。

通常非公開。問い合わせは、あきる野市五日市郷土館まで。

 

(いの)(がた)()(がわ)(づか)()(ふん)

附 (こん)(どう)(せい)()(かん)2点、(てつ)(ぞく)14点、(とう)()2点、棒状鉄製品9点、
須恵器(ちょう)(けい)(へい)1点、須恵器大甕片13点、
(かい)(ゆう)陶器長頸瓶1点、銅銭3点

【種別】
東京都指定史跡
【所在地】
狛江市猪方三丁目21番29号
【所有者(管理者)】
狛江市(狛江市教育委員会)
【指定地番及び面積】
狛江市猪方三丁目503番4 242.01平方メートル

本件は、多摩川中流域左岸の武蔵野台地縁辺部に築造された円墳の横穴式石室を伴う南東部分である。天井石は失われていたが、(きり)(いし)(きり)(くみ)()みの石室、墳丘の一部、陸橋を伴う(しゅう)(こう)の一部が現存し、最大径29.2メートルの円墳と推定される。横穴式石室は(つい)(そう)を前提に造られているが、(げん)(しつ)床面の金銅製耳環や鉄鏃など副葬品は埋葬された当初の位置を保っており、鉄鏃の形式から最後に埋葬が行われたのは7世紀半ばと推定される。

本件の横穴式石室は、玄室と前室をもつ複室構造で、ほぼ真南を向いて開口し、遺存状態が極めて良い。玄室平面は羽子板状、前室平面は一部欠損があるものの端正な長方形であることが確認でき、玄室奥壁の長方形の切石4段の表面には手斧(ちょうな)状工具を用いた調整痕なども残る。狛江市教育委員会は、この横穴式石室の埋戻しを行わず積極的に公開するという基本方針のもと、整備を行い、令和2年(2020)4月に市立猪方小川塚古墳公園として開園した。

本件を含む狛江古墳群は、古墳時代中期から後期の群集墳である。従来、狛江古墳群は6世紀半ばまで造られていたとされてきたが、本古墳の発見により、その終焉が7世紀半ばの古墳時代終末期にまで下ることが明らかとなった。東京都内に現存する横穴式石室の中でも遺存状態は極めて良好で、6世紀以降の多摩川流域の古墳群における切石積横穴式石室の造墓技術の伝播やその展開、首長墓の系譜を考える上で欠くことができず、学術上価値が高い。

なお、古墳の追葬の最終時期を示す副葬品(金銅製耳環、鉄鏃、刀子及び棒状鉄製品)、奈良時代以降、埋葬施設としての機能を失っても墳丘や周溝が地域で認知され、塚などに転用されたことを示す出土品(須恵器長頸瓶、須恵器大甕片、灰釉陶器長頸瓶及び銅銭)を附指定とする。

写真:猪方小川塚古墳 公園全景猪方小川塚古墳 公園全景
写真:石室内発掘状況石室内発掘状況
写真:出土品 (附指定、須恵器大甕片を除く)出土品 (附指定、須恵器大甕片を除く)

 

堂山(どうやま)シイ(しい)

【種別】
東京都指定天然記念物
【所在地】
三宅村伊豆1563番 ()(さい)神社境内
【所有者】
個人

本件は、昭和11年(1936)3月4日、史的紀念物天然紀念物勝地保存心得により天然紀念物に標識された。その後、旧東京都文化財保護条例附則第2項により東京都指定天然記念物とみなされた。

旧東京都文化財指定基準の都天然記念物の部第1項「個体数少く。或いは滅亡にひんしている動植物、名木、巨木、老木、き形木、特殊な技術を施した樹木、人工変種の原木、林相、植物群落及び特殊な下等動植物並びに貴重な標本。」に該当する。

樹種はブナ科シイ属のスダジイCastanopsis sieboldiiで、御祭神社参道東側に生育していた。平成9年(1997)に東京都教育委員会が実施した現況調査では、樹高24.7メートル、根元の周囲9.98メートル、枝張東西13メートル、南北22.5メートルを測った。御祭神社社叢にはスダジイの大径木が多く、本件はその中でも最大であった。

令和2年(2020)6月8日に、樹幹の倒木と参道及び鳥居を被覆している状況が確認され、現地調査を行った。根元付近から2~3メートルの高さまで大きく開いた開口部が折損部の幹断面で確認され、樹体を維持できなかったことが倒木の原因と考えられる。

倒木により巨木としての威容を失い、復旧させることが極めて難しくなったことから、東京都指定天然記念物の指定を解除する。

写真:堂山のシイ 令和元年撮影堂山のシイ 令和元年撮影
写真:堂山のシイ 令和2年倒木時堂山のシイ 令和2年倒木時

お問い合わせ

教育庁地域教育支援部管理課文化財保護担当
電話:03-5320-6862 ファクシミリ:03-5388-1734
メール:S9000026(at)section.metro.tokyo.jp
迷惑メール対策のため、メールアドレスの表記を一部変更しております。
お手数ですが、メール送信の際は(at)を@に置き換えてご利用ください。

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