公開日:令和4年(2022)2月16日
東京都教育委員会は、2月16日、東京都文化財保護審議会(会長 後藤治)から、東京都指定文化財として新指定候補4件の文化財について、答申「東京都指定有形文化財の指定等について」を受けましたので、お知らせします。
※ 詳細は別紙を御参照ください。
今後開催予定の東京都教育委員会に、東京都指定文化財として新たに指定することを付議する
別紙
女子部講堂、女子部食堂、女子部教室、女子部体操館、土地付 7棟
本件は、大正10年(1921)に教育者・ジャーナリストの羽仁もと子(1873-1957)と吉一(1880-1955)夫妻によって創立された自由学園が昭和9年(1934)9月に現在地に移転した際に建てた女子部の校舎である。設計者は、遠藤新(1889-1951)、近代建築の巨匠と称されるアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト(1867-1959)の愛弟子である。ライトが手掛けた帝国ホテルの建設を引き継ぎ完成させたほか、共同で自由学園明日館の設計を行った建築家である。
女子部校舎は、学園の正門から最も遠い北側に所在しており、広大な学園の敷地を通り、女子部の入口付近に至ると、女子部建造物群全体を見渡すことができる。
本件は、講堂・食堂・教室・体操館から成る校舎を廻廊及び中庭・池などとともに一体的に配置して高い機能性と利便性を実現したもので、かつ、緩やかに高さが変化する地形を巧みに利用して周辺環境と調和を図った配置計画がなされ意匠的に優秀である。
また、遠藤新が世界的に著名な建築家フランク・ロイド・ライトの設計思想「プレーリーハウス(草原住宅)」を継承しつつも、独自の建築理論により、学園の教育を実現する環境として設計した建築であり、氏の代表作の一つである。
食堂(正面から)
食堂立面図(南面)
講堂立面図(東面)
1幅
絹本着色宝塔絵曼荼羅
本件は、日蓮宗独特の本尊形式である絵曼荼羅の一種である。日蓮宗の曼荼羅本尊は、日蓮が「南無妙法蓮華経」の題目を中心に諸尊の尊名を墨書したものに始まる、文字で表された本尊で、絵曼荼羅は、この曼荼羅本尊に書かれた諸尊を絵に表したものである。そのうちの、霊鷲山上に現れた宝塔を中心とした情景を描くものを、宝塔絵曼荼羅と呼ぶ。
上部に日輪と月輪が描かれ、宝塔内の題目と釈迦及び多宝如来を中心として、周囲に四天王、明王、四菩薩、十羅刹女、鬼子母神が描かれる。宝塔の現れた空間と宝塔、仏菩薩は、截金(金箔を細い線状に切って貼り、文様などを表す手法)で飾られている。作者は不詳だが、上質な顔料と確かな技術に基づく截金、毘沙門天などに見られる的確で伸びやかな筆致から、専門の絵仏師によって描かれたと推測される。部分的に傷みはあるものの、後世の加筆や補筆はほとんど見られない。
南北朝時代前半、14世紀半ば頃の作と考えられ、宝塔絵曼荼羅の最古例である京都市本法寺所蔵の作品に次ぐ時期の作例として貴重である。また、南北朝期以前の仏画の作例に乏しい関東では、希少な作品と言える。
天妙国寺に伝わる『御三代御成之覚』(寛永12年(1635)以降成立、都指定文化財)に、3代徳川将軍家光が、元和6年(1620)10月26日に本件を鑑賞した記録が残っていることも珍しい。通常非公開。
本件は、大門ズシ(現在の西保木間二丁目)という古くからの集落に受け継がれる、藁の大蛇を大乗院に奉納し地域の無病息災を祈る厄除けの行事である。昭和の初め頃までは薬師如来の祭日である1月8日に行われていたが、平成21年(2009)から成人の日に行われている。
行事は、まず前年に大乗院境内に立つイチョウの木に奉納した古い大蛇を下ろして燃やし、その灰を新しい大蛇の目として使用する。頭・胴体は、藁を編んで部分ごとに作る。完成した大蛇は、大乗院の脇本尊の薬師如来の前で祈祷を受けた後、前年と同じ木に奉納する。その後、干葉粥と呼ばれる、干した大根の葉を入れた塩抜きの粥を食べる。かつて飢饉の際に大乗院が米を施した名残と言われ、また疫病の効薬でもあるという。
行事の始まりは、文明年間(1469~1487)とも言われる。大乗院の薬師堂に、薬師如来の使いである白蛇が長く住んでいたが、戦乱の渦中に堂が焼失してから見かけなくなった。以後、付近の人々が飢饉と悪病で悩まされるようになると、村の人達は白蛇がいなくなったからだと考え、藁を持ち寄って蛇を作って祀り、白蛇の霊を鎮めたと伝わる。「じんがんなわ」という名称の由来は定かではないが、一説に「神に願う縄」で「神願縄」だとも言い伝えられている。
本件は、かつての江戸近郊農村に伝承してきた希少な厄除けの行事である。高度経済成長期以前の人々の生活に欠かせなかった稲藁を利用して、古くからの伝承による災厄除けの行事を守り伝えており、都民の生活文化の特色を示す風俗慣習として貴重である。
イチョウの木に掲げられた藁蛇
大人数で藁蛇をより上げる
1本
本樹は、梅岩寺の境内に所在するカヤの巨樹である。幹は上方にまっすぐ伸び、大枝は円錐形をなし、北東にやや大きく枝を張り出しており、立ち姿は安定している。山門をくぐった両脇の左手(西側)にケヤキ、右手(東側)にカヤの古木があり、東側のカヤが本樹である。このケヤキとカヤは頂部で枝が交差し、2本で一つの巨大な樹冠を形成している。
都指定天然記念物のカヤは5例あり、本樹の幹周は「九品仏のカヤ」、「善養寺のカヤ」(ともに世田谷区)に次ぐ3番目の大きさとなる。
このケヤキとカヤは『新編武蔵風土記稿』をはじめ、江戸時代後期から明治時代初期の地誌に記載されており、当時から巨樹であることが知られ、梅岩寺を特徴づける景観として着目されていた。なお、西側のケヤキは昭和40年(1965)に都指定天然記念物に指定されている。
本樹は、東京都内でも有数の大きさのカヤであり、都指定天然記念物の「梅岩寺のケヤキ」とともに、梅岩寺の境内を特徴づける景観として古くから親しまれてきた。東京都の自然を記念する巨樹として重要である。
梅岩寺のケヤキとカヤ
山門を挟んで左がケヤキ、右がカヤ(南から)
梅岩寺のカヤ全景(東から)
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