福井参謀の碑【ふくいさんぼうのひ】

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福井参謀の碑

所在地:岡田字新開

太平洋戦争終戦と同時に駐留部隊の引き上げが始まり、その中心になって指揮をとったのが、福井寛参謀であった。10月中旬、アメリカ海軍が上陸し、武器弾薬の引渡しが始まった。福井参謀は連日不眠不休で陣頭指揮をとり、11月5日すべての業務の完了を果たし、久しぶりに笑顔を見せていたという。ところが、翌日夕刻、参謀の姿が見えないことから捜索が開始されたが、夜半の降雨のために一旦中止し、7日朝から矢崎勘十中将自ら先頭にたって捜索した。福井参謀は、三原山を背後に遥か富士山を仰ぐ大島の景勝地、乳が崎で愛用の拳銃で右コメカミを撃ち、自ら命を絶っていた。第51期生として士官学校を卒業し、その後、参謀本部幕僚教育を修了している生粋の軍人である。

記事ID:031-001-20240814-006163