力士大嶌傳吉碑【りきしおおしまでんきちひ】
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所在地:岡田
岡田のトンネルを抜け、信号から岡田港へ下り、龍王神社のあるカーブの下に大嶌傳吉の碑はある。明治27(1894)年1月に島の内外の賞賛を得て建てられた。書は第2代首相の黒田清隆によるものである。 明治の初頭には関取と力士があった。現在の相撲取りで土俵の上で勝負を行うのが関取、関取が相撲を取るとき一緒に興行へ行き、観衆の前で怪力ぶりを見せるのが力士であった。傳吉はその力士であった。大嶌傳吉は本名を島田傳吉といい、明治23(1890)年44 歳の若さで亡くなっている。高砂浦五郎、阿武松縁之助の両関取が二人がかりでも動かせなかった大石を一人で楽々と動かしてしまったと伝えられている。碑の隣にある「勇鑑石(ゆうかんせき)」は約750kgあるとされており、傳吉が両手で差し上げた力石である。岡田2番地の個人宅の玄関脇には、伊豆さし石智仁石(ちじんせき)と刻まれた力石がある。明治の頃、村の青年達の力試しに使われた石で、両手で頭上へ差し上げると一人前と認められた。三浦半島の三崎港の海南神社には境内右側の大イチョウの脇に3つの力石がある。最も大きい石には萬代石と彫られ、右脇に豆州(ずしゅう)大島岡田邑(むら)嶋田傳吉持之(これをもつ)と刻まれている。