武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡【たけだのぶみちおよびかしんくようとうならびにやしきあと】
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所在地:野増字和田(供養塔)、野増6(屋敷跡)
武田信玄の孫、信道夫妻とその子信正は、元和元年、先に処罰された甲州代官大久保長安に関連有りとされ、連座の罪で大島に流された。信道夫妻は家臣9名を伴い野増に居住した。屋敷跡は、約21坪の地に石垣を巡らし、中に小祠2つを奉安している。信道は寛永20(1643)年に大島で没し、信正は寛文3(1663)年に赦されて、48年目に一族と共に内地に帰った。信道夫妻、同行した9名の家臣のうち5名は大島で没した。野増墓地には信道夫妻と家臣5名の供養塔があり、屋敷跡は供養塔から元町へ少し移動した場所にある。昭和31(1956)年に武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡として東京都の史跡に指定されている。
記事ID:031-001-20240814-006191