波浮港見晴台【はぶみなとみはらしだい】

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波浮港見晴台
波浮港見晴台
波浮港見晴台

所在地:波浮港1

波浮の池を波浮港とし、波浮港村をおこして大島5か村を6か村としたのは秋広平六の功績であり、大島の近世については秋広平六をおいて述べることはできない。波浮へ行く大島一周道路沿いに港を見下ろす波浮港見晴台と秋広平六翁之像、旧波浮小学校には親類伝吉の二代目秋広伝吉翁の像がある。波浮港村一番百姓平六、二番百姓伝吉(1)、そして七軒株(2)は子孫に至るまで、事業、村政に力を尽し、村の興隆、大島の発展に裨益された。平六は寛政2(1790)年に来島し、当時、わずかに海へと通じていた波浮の池に着目し、幕府に願い出て工事の一式引受人として港口開削に当たった。総工費980両、延人員12,000人、5ヶ月の月日をかけて工事を完了させた。引き続き一式引受人として波浮港村を創設した。

  • (1) 秋広平六の一子藤蔵(二代平六)の後見人。
  • (2) 大島野増村から5戸、三宅島阿古村、八丈島樫立村から各1戸の計7戸がいち早く移住し村造りに取組んだので七軒株と称した。
記事ID:031-001-20240814-006166