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武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡【たけだのぶみちおよびかしんくようとうならびにやしきあと】

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最終更新日:平成27年(2015)3月24日

武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡 武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡 武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡 武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡 武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡

所在地:野増字和田(供養塔)、野増6(屋敷跡)

武田信玄の孫、信道夫妻とその子信正は、元和元年、先に処罰された甲州代官大久保長安に関連有りとされ、連座の罪で大島に流された。信道夫妻は家臣9名を伴い野増に居住した。屋敷跡は、約21坪の地に石垣を巡らし、中に小祠2つを奉安している。信道は寛永20(1643)年に大島で没し、信正は寛文3(1663)年に赦されて、48年目に一族と共に内地に帰った。信道夫妻、同行した9名の家臣のうち5名は大島で没した。野増墓地には信道夫妻と家臣5名の供養塔があり、屋敷跡は供養塔から元町へ少し移動した場所にある。昭和31(1956)年に武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡として東京都の史跡に指定されている。

お問い合わせ

教育庁大島出張所
電話:04992-2-4451 ファクシミリ:04992-2-3902
メール:S9000007(at)section.metro.tokyo.jp
迷惑メール対策のため、メールアドレスの表記を一部変更しております。
お手数ですが、メール送信の際は(at)を@に置き換えてご利用ください。

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