徳島藩士の墓【とくしまはんしのはか】

更新日

徳島藩士の墓 徳島藩士の墓 徳島藩士の墓

所在地:波浮港 16

明治 3(1870)年 10 月初めのある日、突然、波浮の港に八丈島御用の流人船が寄港した。寛政 8(1796)年に大島遠流が廃止されてから 74 年ぶりのことであった。この船に阿波徳島藩で起きた悲劇的事件稲田騒動庚午こうご事変で罪を得た徳島の藩士が乗っていた。付き添いの役人は私闘の科人とはいえ廃藩置県令に違反し朝命に叛いた藩内の分子に斬姦の刃を振るい、身命を賭して藩主の責任を替って負った志士忠臣ということで丁重に遇し、手鎖監禁もなく衣服も絹布が許されていた。ところが間もなく織田角右衛門が 10 日に急逝。次いで今田増之助が 21 日に病死、さらに平瀬所兵衛が 12 月 18 日病死。稲垣軍兵衛が明治 4(1871)年 3 月 29 日病死した。その頃全国的に流行したコレラにかかり不幸にも波浮港で亡くなったものと考えられる。4 人は、程近い妙見山墓地の一画に墓を連ねて埋葬された。

記事ID:031-001-20240814-006195